雑誌の編集・制作に関わる者として

某雑誌のあるコーナーに、
内容の本筋にはまったく不必要な文章が掲載されてしまい、
一部のSNSで話題になっている。
発行側は真摯にこれを受け止めた対応をとっている。

その文章が掲載され、該当誌が発行されたいきさつについては、
コーナーの制作から印刷までのプロセスにおいて
ノーチェックだったという不手際は重いし、
100%の責任が編集部および発行元にあると思う。

該当誌および他の雑誌や公的発行物の
編集や制作にも直接関わってきた者として言いたいのは、
コーナー制作者、文章執筆者の非常識、卑劣さ、
あるいは悪意についてである。

発行までのプロセスにおいては、先述したように、
当の本人もそのことを理解していただろうから、
ノーチェックで自分の書いた文章が社会に晒されることも、
明確に認識していたはずである。

一人ひとり、思想や考え方、書籍、報道をはじめとする
情報の受け取り方や理解の仕方は様々である。
それはまったく自由であるべきだ。
しかし、それを公的な社会的な場で表現するとなると話は別だ。
単語、センテンス、全体の文脈に、
「場」にあった適切さが求められるのはもちろん、
その「場」が、表現する媒体として
そもそもふさわしいかの判断も不可欠である。

しかし、掲載されたのは、
街を活気づけ、楽しい街にしていきたい、
自分たちの街をもっと好きになりたい、
人も店も元気になってほしい...そう願って創られるタウン誌である。
その誌面で、しかもまったく必然性のかけらもなく、
2chでさえ不快感を覚える言葉遣いが次々と展開されている。
そのことに対する自制心、自問自答がなかったとしたら、
制作者として、編集人、ライターとして、
雑誌に関わるものとして、完全に不適格者である。

ましてや、自分のものではない(自分が発行人ではない)媒体の
コーナーをあずけてくれている、
編集部からの信頼を裏切る背信行為であり、
さらに言えば、自分の書いた文章で雑誌を廃刊に陥れるための
明らかな悪意があったとさえ思えるほどだ。
もし、そんなつもりはなかったと主張するなら、
それこそ、創造力以前の想像力と、
人として何か大きなものが欠落していると言わざるを得ない。

そしてもっと不快なのは、この文章が、
匿名でなされていることだ。
もし万一、好感と同感をもってくれる読者がいたとして、
それをニヤニヤと物陰から見ている顔が浮かぶ。
卑劣であり、卑怯である。

名を名乗れ、自分の媒体で堂々とやれ。
このバカタレが!