110311+540〈山形〜福島〜飯館〜南相馬〜相馬〜〉
「みちのく二人バイク旅」と称して、
9月1-2日に福島・宮城南部の太平洋側を回ってきた。これが第一弾。
第二弾の9月14-16日は、宮城北部から岩手を回る予定。
バイクは僕がCT110、通称「ハンターカブ」。
いつも自転車で旅してる相棒のユーヤはリトルカブ。
リトルカブは時速30kmリミットなので、それに合わせて走る。
自転車にかなり近い感覚で旅ができるはずだ。
5時半すぎに、恒例の見送り隊に見送っていただき、
山形市宮町のコンビニとうかいを出発。
まずは上山市の金山峠を越え、七ケ宿町、国見を抜け桑折へ。
【飯館村】
福島市から月館を通り、飯館村へ入る。
飯館村はフクイチから50kmほど離れているにもかかわらず、
峠と峠に挟まれた窪地であったことも原因して、
政府が引いた20〜30kmの規制ラインをあざ笑うかのように放射性物質が飛来。
全村民が被爆、その後避難した。
それでも立入禁止にはなっておらず、
福島から南相馬の原町区に抜ける幹線道路として、
今も普通に車が行き交う。
30t Projectが水を運ぶ道でもある。
無人の村。
多くの家や店、施設は当然誰もいないが、
営業を続けている床屋が1軒あった。誰のためなのだろう…。
村役場は付近を警戒する警察の詰め所になっている。
【南相馬市 原町区】
飯館村を過ぎるあたりで土砂降りになるが、
峠を越え南相馬に入る頃には、再びピーカン。
原ノ町駅の駅前通りに「まちなかひろば」があり、
山形屋台村ほっとなる横丁のような
チャレンジショップがいくつか並んでいる。
その中の1軒「ラーメンすず」で少し早い昼飯をとる。
友人の情報によると、
この1軒だけは、震災当時も夜遅くまでがんばって営業していて、
遺体捜索などでヘトヘトになった消防団の人たちも、
ここしかやっていなかったために毎日通っていたのだそうだ。
オススメは味噌ラーメンだと聞いたので、
普段はあまり食べない味噌ニンニクぶっかけを注文。
普通に美味しかった。
10人も座れないほど狭い店内のあちこちに
「がんばろう!」のメッセージが掲げてあった。
いつもの生活が戻ったように見えるこの原町区でさえ、
今だ除染は充分ではなく、自主避難している住民も多い。
【南相馬市 小高区】
原町区から小高区に向かう。
小さな峠を越す道沿いに「政治家の家」が建っている。
政治家たちよ、ここへ住んでみろ。
そんなメッセージなのだ。
小高周辺の地図を見ると湿地が点在しているので、
もともとは街全体が湿地を造成して出来たのではないか…。
そう思うほど原町区とは様相が異なり、
駅前の商店通りは、至るところで建物が崩壊している。
しかも、放射線量が高いため、ようやく最近になって重機が入り、
瓦礫化した家屋の片づけが始まったばかり。
フクイチの警戒区域指定は解除されたものの、
営業を再開したのは床屋さんが1軒だけ。
町は死んだままだ。
誰も住んでいない町、線路は赤錆びて雑草に覆われた常磐線。
なのに、何事もなかったように、
小高駅の自転車置き場には自転車がびっしり並んでいる。
震災当日から凍りついたままの光景。
311の朝、駅から通勤通学した人たちの笑顔が浮かんだ。
赤茶けた線路を横切り、国道6号線に出て、
南の方、浪江町方面へ向かってみると、
小高区下浦三輪、双葉グリーン土木小高営業所の前で通行規制。
この日の担当だった北海道警察の警官に、
「ここから先は通行証を持っていないと進めません」と言われた。
フクイチからわずか13kmほどの地点。警察だって命がけだ。
【南相馬市 原町区・鹿島区】
国道6号線をUターンして再び原町区に戻り、
一度足を運んだことのある村上海岸へ。
草むらの中に津波の被害を受けた家屋やクルマが点在する。
住人が片づけに入った形跡のある家、
全く放置されたままの家、様々だ。
同じように流されたのだろう。
遠くに赤い自販機がポツンと見えた。
海岸には出ずに、1本内側の道を走る。
海水とヘドロに覆われた田んぼに土を入れている重機、
紙っぺらのように横たわるアスファルト、
流されたクルーザー。
青い空の下の違和感に少し気持ちが悪くなる。
津波被害のクルマなどはだいぶ撤去されていたし、
ボランティアの姿を一度だけ目にしたが、
復興の気配はまだまだ見えない。
海岸線の道路はいたるところが寸断され、
地図上で引いていたルートはことごとく通れない。
集落自体に入れないよう封鎖されている場所も多かった。
海岸線にアプローチ、進めずに国道6号線に引き返し、
また海岸線にアプローチ…を繰り返す。
そしてようやく小浜に出る。
村上海岸で見たように、堤防は決壊して無残。
浜辺まで続いていたであろう道は地震か津波で、地盤ごとない。
それでも海岸線復旧のため、関係車両が入るための道が、
土盛りされて作られ、作業員の姿も見られる。
遅々として進まない政府の復興政策、
官僚や行政のお役所仕事。
そう言われている中で、現場で働いている人たちは確かにいる。
さらに北上して、右田浜キャンプ場。
今回の旅の野営地として、
できるだけ沿岸の場所をと探したのだが、
どこも壊滅状態で、営業再開の見通しもたっていない。
右田浜キャンプ場も同様。
テントサイトの痕跡すらない。
唯一、キャンプ場のメイントイレ施設だったと思われる
建物がポツリと残っていた。
その佇まいはまるで教会のように見えた。
【相馬市 松川浦】
1日目に想定していたラストの訪問場所、松川浦。
1枚目の写真は、岩子にある割烹文字島前あたりからの内湾。
潮干狩りでも知られる尾浜の方へ回り込むと、
松川浦大橋がある。
鵜の尾崎灯台のある岬へ渡るキレイな橋だが、
道路修復のため通行止めだったのが残念。
この大橋の下を津波がくぐり抜け、尾浜の港を襲った。
沖に出て津波の被害を免れようとした漁船が、
出遅れて流される映像が残っている。
旅で回る場所の情報を検索していて偶然見つけたのだが、
とても目を開けていられなかった。リンクも張らないでおく。
相馬港側に面した市場も、がらんどうで、
人々が時折集まったようなイスと焚き火の跡があるのみ。
それでも、尾浜の町は少しずつ活気を
取り戻しつつあるように感じられた。
ホテルや旅館、民宿もだいぶ営業を再開していて、
人やクルマが行き来している。
以前の景勝地、観光地に一日早くも戻ってほしい。
そしていつか、今回通れなかった松川浦大橋を渡ってみたい。
【不動尊公園キャンプ場】
相馬市街地へ戻り、
市内の「相馬市総合福祉センター はまなす館」にて
早めにひとっ風呂。
野営地の不動尊公園キャンプ場周辺に温泉はなさそうだし、
着く頃にはきっと暗くなっているだろうしね。
はまなす館は、その外観からしてとても風呂がありそうには見えない。
不安になって駐車場を歩いている人に訪ねると、
「お風呂?どうかな?あるかな?」という答え。
地元の人にもあまり知られていないのかも。
温泉じゃなくただの沸かし湯で310円の入浴料は、
温泉天国の山形県民にとっては微妙な料金ではあるものの、
貴重な街中の銭湯、ありがたくいただいた。
入浴後、近くにある肉屋とスーパーで、
晩飯の食材とお酒を買い出し、約40分かかって、
県境を越え、宮城県丸森町の不動尊公園キャンプ場に到着。
辺りはすでに真っ暗だったが、
場内はかなりきちんと管理されている様子だ。
近くに流れる川の音を聴きながら、
テント設営を済ませ、ビールで乾杯。
晩飯のメインディッシュは、相馬市の肉屋で見つけた
「相馬牛メンチカツ」とレトルトカレー&ライス。
相棒はカルボナーラのパスタを。
同じ肉屋で買った豚レバーを焼きながら
ワインを飲み始めると、パラパラ、ザーザーと雨が降り出し、
それをきっかけに本日終了。
テントに入って眠りについた。
■走行距離:250km
■Blog未掲載の写真はこちらで:
sgm120901/みちのく二人ハ?イク旅-1 - a set on Flickr
■写真は一部をのぞきすべてSIGMA DP1x