110311+541〈相馬〜新地町〜山元町〜亘理町〜名取〜仙台〜山形〉

「みちのく二人バイク旅」2日目の朝。

目が覚めたらすでに止んでいたものの、夜中、雨だったらしい。
テントもバイクも濡れそぼっている。
どこか近くに流れていると思った川は、
テントサイトのすぐ目の前にあった。

そんな雨の音、川の音も気にならないほど爆睡。
一度だけ寒くて目が覚めたが、
面倒くさくてシュラフを出さずじまい。

朝食は昨夜のうちに仕込んでおいたミネストローネと、
南相馬市の原町製パンの「よつわり」パン。
4つに割れるよう切れ目が入っていて、
中身はあんことクリーム。かなりイケる♪

朝飯は昨夜仕込んどいたミネストローネと、 南相馬、原町製パンの「よつわり」パン♪

よつわりパンの中は、あんことクリームさー。
 
 
今日のルートは1日目に比べてかなり短いので、
いろんな場所を見て回りたい。一カ所をじっくり見たい。


 
 
 
【新地町 釣師浜海岸】

だらだらと撤収を終え、キャンプ場を出たのは9時過ぎ。
昨夕来た道を戻りつつ、途中国道113号から
新地町に向かう県道273号に入り、
国道6号を突っ切ってまっすぐ釣師浜海岸に向かう。
途中の県道273号は実に気持ちいい道で、
キャンプ場では少し雨がぱらついていた空も晴れ渡ってきた。

釣師浜海岸も他の海沿いの風景と同じ。
堤防は今だ無残な姿で横たわり、
道路は途切れ、自然のパワーの凄まじさにただ唖然とする。
周辺に建物は全く見られず、すべて津波に飲み込まれた。

「自然が作り出した芸術」

景勝地のPR文によく使われるフレーズ。
それは、荘厳な美しさで人を感動させるだけではない、
逆の面も合わせ持っていることを改めて強く思う。
自然に対する畏敬の念と感謝の気持ちを、
だから、ぼくたちは忘れてはいけない。

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【山元町 坂元駅】

沿岸の道路はそこかしこで寸断されているため、
いったん国道6号線に戻って北上、宮城県に入る。
山元町坂元の交差点を、常磐線坂元駅方面の標識を頼りに右折。
再び海岸沿いへと向かう。

が、向かっている前方にあるはずの駅が全く確認できない。
見渡す限りの草原。
戸惑いながら先に進むと、コンクリート造のトイレがポツンと建っていて、
すぐその後ろに防波堤のような塊が左右に横たわり、
道はそこで行き止まりになっていた。

なにがなんだか分からなかった。
駅はどこにあるんだろう。
トイレ前の広場らしきスペースにバイクを停め、
ふと振り返ると、駅前によくある周辺マップの大きな看板があった。

ここが駅なんだ。

トイレは近年新しく作られたものなのだろう。
だから津波に耐えて残った。
そして駅舎だけが跡形もなく流されたのだと理解した。
そう理解するしかなかった。

防波堤の残骸にも見えるコンクリートの塊によじ登る。
やはり、ホームだった。
ホームの両脇に上下線の線路があるはずなのだが、
海側の線路は赤く錆び、砂利と草に埋もれ、
陸側の線路はどこにも見えない。
ところどころにひしゃげたレールらしき鉄が垣間見えるだけ。

息が詰まった。言葉が出ない。

列車を待つ人へアピールするために立てられたのだろう、
ホームの海側に小さな看板が残っていて、それにはこう書かれてあった。

「開通105年 地盤固い 直線日本一」

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【山元町 楽天イーグルス牛橋公園野球場】

相馬市松川浦からずっと海岸線を走る県道38号は、
宮城県に入ってもそのまま続き、何度も書いているように、
いたるところで崩壊、寸断されている。

それが、この坂本駅から北は、少し海岸から離れているせいか、
被災を免れ、快適に走ることができた。
途中、土地を畑に変えて耕作している人や、
瓦礫の山をはい回る重機の姿を何度か見かけた。
前を向いて暮らす、生きる姿や風景に、
わずかな安堵感を覚えたその時、
がらんとした空き地に慰霊碑を見つけた。

手を合わせ、カメラを向ける。

「東日本大震災徳二萬余名」

涙を止められなかった。
抜けるような青空、
海から渡ってくる爽やかな風、
その心地よさが悲しかった。

カメラをしまい、そしてもう一度深く頭を下げた。

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さらに県道を北上。
「牛橋公園」という看板が気になり、脇道へ入ってみると、
そこは楽天イーグルスの練習球場らしかった。

1本の小道を挟んだ向かい側には被災車の集積場があり、
痛ましい姿のクルマが累々と横たわる。

球場の3塁側ベンチは流されて横転し、
レストハウスは一部をえぐり取られ、
内野グラウンドはヘドロと砂利に覆われたまま。

ところが、外野に目をやると、
芝生が青々と繁っている。
生きてたんだ…。
思わず言葉が出た。
芝生の上を、ツバメたちが、アゲハチョウのように、
ヒラヒラと気持ち良さそうに飛び回っている。

あとでもう一度この言葉を使うつもりだが、
その光景がなぜだか「天国」に見えた。

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【亘理町 荒浜港】

お昼が近づいてきたので、
目指せ、亘理名物ほっきめし!はらこめし!である。

今回の旅の大きな目的の一つは、
できるだけ地元のものを食べる、
復興にがんばっている店に行くこと。

で、荒浜港の方へ行けば何かあるんでは…
という嗅覚がドンピシャ。
荒浜築港通り仮設店舗で、
美味しい「とろはらこめし」にありつけた。

お店の名前は、フラミンゴ。
あとからパンフを見て知ったのだが、
地元で20年以上になる店で、
津波のため営業停止を余儀なくされ、
この仮店舗で復活をとげたそうだ。

店内で食べるとお吸い物が無料なのもいとウレシ♪

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フラミンゴの、とろはらこめしさー♪ フラミンゴのとろはらこめし。中身編。うまいーさー!

荒浜の海水浴場に一度だけ来たことがある。
その時の記憶では、密集した住宅街の中の
狭い路地を抜けてようやく浜に出たんだと思う。

その住宅街も、路地も姿がない。
まるでなにもないのと、かなり昔のことなので、
長い歳月の間に区画整理だって行われるよなぁなどと考えていた。
しかし、草むらのなかに入っていくと、
確かに路地が入りくんでそこにあり、
基礎だけが残った家ごとの区画が見えてくる。
かつての住宅街の様子が甦って、吐き気がした。

そのなにもかにもが、消え去った。
生活の痕跡を示す路地や壁や基礎は、
伸び放題の夏草にすっかり覆い隠され、
遠くから眺めるとどこか平和にさえ感じられた。

ぼくの中で「天国」は、面白おかしく楽しい楽園ではなく、
静謐で、穏やかで、柔らかな陽が差し、
やさしい風が吹いている、そんなイメージ。
それと同じ情景が、目の前に広がっているのだった。
この世にあってはならない情景だった。

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【亘理町 ふるさと復興商店街】

荒浜から亘理駅の東側にある復興商店街へ行ってみる。

常磐自動車道をくぐる手前、東側のGSで給油。
聞くと、2メートルの津波が到達したと言う。
営業再開は2ヶ月後だったそうだ。

商店街は以前、気仙沼で訪ねた「鹿折復幸マルシェ」のように
お土産や特産物、復興応援商品などの店々を
想像したのだが、全然違った。

田んぼの真ん中の広大な敷地を造成し、
被災した商店の仮設店舗エリアが作られ、
荒浜郵便局をはじめ、日用に必要な店や、
復興を目指す会社が軒を並べる。

そして同じ敷地内に、住民の仮設住宅群。
実際やメディアを通して知っている中で、
これほど大規模な仮設住宅は見たことがない。
奥まで見通せないぐらいプレハブの建物が並んでいるのだ。

正式には、公共ゾーン仮設住宅と呼ばれ、
町のホームページによると、戸数は558戸にものぼる。

公民館でなにか催事が始まるようで、
ボランティアらしき女性たちが、家を一軒一軒たずねながら、
参加を呼びかけていた。

558戸。
4人家族なら2,000人を超える。

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仮設住宅からそのまま田んぼの中を抜けて国道6号線へ。
それからすぐのところに「おおくまふれあいセンター」という
産直の店を見つけ、亘理産の梅を使ったジェラートで一息♪
甘さ控えめ、爽やかな酸味。美味しかった〜。

地元の美味しいものに出会うのが旅の一番の醍醐味。
今回は特にね。

亘理産梅ジェラート♪

 
 
 
【名取市 閖上小学校】

小学校周辺には、少し住宅が残り、町の形を保っている。
もちろん津波はこの辺りも襲い、校舎に避難した
約2,000人が助かったらしい。

校舎内は立入禁止だが、
体育館は流出物保管場所として、開放されていた。
震災直後に比べると、床を埋め尽くしていた流出物は
かなり少なくなっているようだったが、
それでも、大量のランドセル、運動具、ご位牌や写真、
衣類など数多くが陳列され、帰る場所を待っていた。

時計は震災の時刻で止まっている。

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校庭に出ると、グランドの隅にある遊具に、
津波に流された船が乗り上げているのが見えた。
が、これは勘違い。
最初からそういう趣向で作られたものだった。
思わず苦笑い。

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【名取市 閖上港】

閖上小学校からさらに海に近づくと、
様相は一変する。
町の面影は消え、一面夏草が伸び放題。
港の前に立ち並んでいた海鮮の店や市場はもちろん、
貞山堀周辺の住宅地も跡形もなく、
松並木が少し残るだけ。

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貞山堀のほとりにバイクを停め、
西側、閖上保育所の方を写真に撮っていて、
ふとGoogleマップを立ち上げてみる。

見比べると、今は瓦礫がすっかり片づけられ、
見渡す限りの草原になった場所に、
あの日、あの時まで住民が暮らしを育む
風光明媚な街があったことを確かに示していた。

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Googleマッフ?
 
 
慰霊碑が建てられた小高い丘の上の日和山富士主姫神社から、
閖上3丁目、4丁目を眺める。
風渡るヒューと鳴く音だけが聞こえてくる。
この場所に人々が戻ってこれる日は来るのだろうか。

津波対策を施した屋内型漁港、集合住宅を建設する
スカイビレッジ構想や小中学校、宅地の内陸部への配置替えなど、
新しい街づくりが少しでも早く、着実に進むことを願う。

それと同時にぼくたちにこれから先、
被災地にだけでなく、次の世代に対して何ができるのか、
カブや自転車のスピードみたいに、
ゆっくりしたペースでいいから、考え続けたい。

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【名取市 閖上中学校】

当初は国道48号の関山峠を戻るルートも考えたのだが、
いろいろと怖いため(笑)
笹谷峠のつづら折りを越えることにする。
仙台市街に戻りしな、閖上中学校にも立ち寄ってみる。

敷地内には入れなかったが、
裏道から校庭を眺めることができた。
見ての通り、防波ブロックの制作現場になっている。
学校そのものは移転が決まっているらしいから、
海岸線で作っていた場所が被災し、
その代替地ということなのだろうか。
妙に違和感があった。

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秋保温泉を過ぎたところにある、
ミニストップ仙台坪沼店でラストの休憩。
小腹を満たし、さて行こう!
と走り出した途端に雨。しかも土砂降り。
薄暗く、というより真っ暗になりつつある
笹谷の峠道を恐る恐る越え、
19時ちょっと前、スタート地点のコンビニとうかいに
無事にゴールした。

みちのく二人バイク旅の第二弾は、9月14〜16日。
今度は2泊で、石巻〜南三陸〜気仙沼〜釜石を回り、
遠野〜花巻〜横手〜のルートで戻る予定。
 
 
 
■走行距離:159km
■Blog未掲載の写真はこちらで:
sgm120902/みちのく二人ハ?イク旅-2 - a set on Flickr
■写真は一部をのぞきすべてSIGMA DP1x