ケサゴロウは自分の名前が嫌いだった。兄たちは今風の、といっても60年以上も前のことだが、ケンだのヒデオだの(あとは忘れた)シャレた名前なのに、なぜ自分だけがケサゴロウなんだと。親にもそれなりの理由はあった。ケサゴロウが生まれた時、ヘソの緒が文字通り坊主の袈裟のように体に巻き付いていたのだ。ケサゴロウが袈裟五郎と書くのかは知らないが、こうしてケサゴロウはケサゴロウになった。
ケサゴロウは小柄ながらもガキ大将で鳴らし、高校卒業と同時に上京してボクサーを志した。志してプロになったのか。「若い頃はボクサーだったこともある」とケサゴロウが言うから、まあそうなのだろう。そして、上京してハマッたのがギャンブルだった。
故郷に帰ってからも、夜行で東京へ行き、早朝に競馬場が開くのをワンカップを飲みながら待つといった生活を繰り返した。いつもポケットに4、50万の金があった。サラリーマンの初任給が2、3万だった時代だ。「ケサゴロウ、金があるなら土地を買っとけ」と知人に勧められた。しかし全くその気にはならなかった。「買っておけば今ごろは」とケサゴロウは笑う。今もそんな気はさらさらないのだ。
要するにケサゴロウは、元ボクサーのギャンブラーである。よって女房と子供に逃げられた。「ある日いなくなっちゃったんだ」とまたしても高い声で笑う。ケサゴロウはギャンブラーだが、ギャンブラーと聞いて誰もがイメージする鋭さや渋さは微塵もない。怪しいマジシャン、ゼンジー北京とかマギー司郎のような表情で、つぶらな瞳をクリクリさせ、ゴマ塩のヒゲをひくひくさせて笑ってばかりいる。ここのところずっと競艇に夢中だったが、最近は競輪に鞍替えしたのだそうだ。
元ボクサーのギャンブラーであるケサゴロウには副業がある。街道沿いの食い物屋だ。かなり話題になっているから客足も十分にあるはずだ。ところが客入りのいい土日は店を開けない。ボートのレースがある。そっちが本業なのだ。
ボートピアの開催日を知らせるポスターが、厨房内とトイレ前に貼ってある。前者はケサゴロウが自分で見るためだろう。そしてトイレ前のやつは、ケサゴロウの店がいつ休みになるか、客が予想するためか。
開けてまもない店内に、5、6人の客がいた。そのうちの一人はどこぞの弁当をつまみながら酒を飲み、ケサゴロウと談笑しつつ将棋盤に向かっている。するとケサゴロウが入口の方へ目をやり「あぁ、お客さん来ちゃった。もう今日はご飯ないんだぁ」と言って、店の外に出ていった。ご飯がないとはどういうわけだ。客はたぶん一回転目でこれしかいない。しかも12時半前の稼ぎ時だ。ご飯を切らすなんてあり得ないだろう。
しばらく店の前で立ち話をして客を帰した後、店に戻ったケサゴロウが言うには、「今日は10食分しか炊いてないんだよね」。実はこの日の前日、ケサゴロウは店を臨時休業にした。その分の稼ぎを挽回するつもりは全くないらしい。これからも変わることがないであろうケサゴロウの一生が、とても豊で幸せなものに思えた。
「10食分しか」と言いながら、ケサゴロウは米の準備を始めた。計りで3キロ。米袋から目分量ですくって、ぴったり3キロ。「ほら、俺、カンがいいんだ」とギャンブラー・ケサゴロウは自慢気に笑う。ギャンブラーだが、これから来るかもしれない客のためにご飯を追加して炊くとは、副業もそれなりにやる気はあるじゃないか。ほんの少しだけ感心していると、ケサゴロウはこう言い放った。
「これは明日の分、15食分」。
やまがた食い倒れ: 2008年2月アーカイブ
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2008年11月 (3)

