すっぽこ通信 3/3号「岩手県千廐町」編

すっぽこが食べられるのもあとわずか…。
春の到来を待ちわびつつも、
小さな寂しさが我が胸に去来する
今日この頃のすっぽこ所長でございます。

てぇいっ!
とその寂しさをふりきって、
今回はついに念願の岩手県千厩町へ、
すっぽこをたずねて三千里(あ、いや、3時間ちょい)の
遠征リポートをお届けしまーす。
 
■岩手県千廐(せんまや)町ってどんな町だ?

 平成17年9月20日、一関市、花泉町、大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村の1市4町2村が合併し、それまでの「東磐井郡千厩町」は「一関市千厩町」に変わった。
 手元に合併以前の千厩町の広報誌(2005.7.15号)がある。これによると、平成17年6月30日現在の人口は13,265人、世帯数は4,185戸の小さな町だ。かつては桑と馬の産地としても知られ、千の厩(うまや)があったことから、町名が起きたという。源義経が一の谷で乗っていた「太夫黒」もここ千厩町の馬なのだそうだ。
 位置的には、東北自動車道一関I.C.から宮城県気仙沼市に向かう国道284号線沿いにあり、山形市からは約3時間ちょいの道程となる。
 観光名所は、巨大な男女の像徴がエロティックに寄り添う夫婦岩。その隣に観光案内所があり、日本一の大きなスタンプがある。印字サイズが30cm角以上はあるであろうこのスタンプ、捺すためには「手に持って」というよりは「両手に抱え」なければならないが、その部分が、アノ部分(男)のリアルな形をしていた。
 
 
■千廐町「小角食堂」にすっぽこの歴史あり

 話がすっかり横道にずれてしまった。ワタクシ所長とa主任研究員、そして「へ」研究員は、町内を視察しながら、今回の目的地である「小角食堂」に到着する。
 すっぽこ研究所通信 5/16号で、すでに触れているように、早くから千厩町にも、我が山形市と同様の「すっぽこ」と呼ばれるあんかけうどんがあることは突き止めていた。今回、ようやくその現地調査が実現した…というわけである。
 「小角」と書いて「こっかど」と読む。創業は明治時代に遡り、100余年の歴史を持つ老舗だ。現在のご主人、門間和雄さんは63歳。18歳の頃からお店に出ているというからすでに45年、小角食堂を切り盛りしている。
 しかし、このご主人に聞いても、「なぜ、あんかけうどんを“すっぽこ”というのか」「いつから“すっぽこ”があるのか」については、残念ながら全くわからないという。ただ、83歳になられるご主人のお母さん、濱子さんが嫁にきた63年前には、すでに店の品書きにあったというから、創業当初からの可能性も考えられるだろう。
 そんな話をお聞きした後、いよいよ、すっぽこをオーダーした。
 
 
■6種類の具が美しく盛られた、まさに「すっぽこ」!

 さてさて、これが小角食堂の「すっぽこ」だ。



 美しい。山形市のすっぽこを見ても思うのだが、卓に運ばれてきた時の麗しさは共通のものだ。見た目はまさに「すっぽこ」。具にわずかな違いはあるものの、岩手と山形の大きな差異は見当たらない。しかも、鰹のダシがかなり効いて、実に美味。
 山形においてもそうだが、小角食堂でもかつては蓋付きの木の椀(器)で出していたという点は、注目すべき共通点だと思う。ご主人曰く「最近探してみたんだが、見つからなかった」。なんでも、明治・大正・昭和と3度の大火で、古い書き物なども蔵といっしょに焼失してしまったらしい。



 具はご覧の6種類。かまぼこ2種、ゆで卵、セリ、椎茸、ホタテを湯切りしたうどんに乗せ、その上からあんがかけられる。以前はタコの足を入れていたが、すっぽこのお得意さんであるお年寄りが、なかなか噛み切れないという理由から、近年ホタテに変えたそうだ。さらに昔は、卵ロールのようなかまぼこも入っていた記憶がある、とご主人。肝心の「あん」だが、山形では注文ごとにつくる場合が多い。が、小角食堂ではつくり置きして湯煎し、すぐに供給できるシステムになっている。
 小角すっぽこが、「男すっぽこ」か「女すっぽこ」か、はたまた「オカマすっぽこ」かの評価については、その専門であるa主任にゆずるとしよう。
 
 
■20年前に品書きから消えた「すっぽこ」の名前が復活

 店内に入り、さらにメニューを見ると、実はそこに「すっぽこ」の名前はなく、「あんかけうどん」と書かれている。ご主人にそのことをただすと、やはり山形同様、「“すっぽこ”と書いてもわかる人が少なくなったので、20年以上前に“あんかけうどん”に変えた」とのこと。ところが、店の前には“あんかけうどん”と断り書きが添えられているものの…

千廐名物 すっぽこ



…とその名が復活している。
 「昔から知ってる人に、せっかく個性的な名前があるんだから、復活させて活かした方がよいのではないか」とアドバイスされた、とのこと。拍手喝采、万歳三唱、シャンシャンシャン♪である。



■すっぽこから生まれた超人気名物メニュー

 この小角食堂を一躍有名にしているのは、実はすっぽこではなく、「あんかけかつ丼」だ。「ズームイン朝」や「目覚ましテレビ」などでも取り上げられ、遠来より客を呼ぶ。来店するお客の7割以上がこのあんかけかつ丼を頼むのだという。
 せっかくの機会なので、すっぽこといっしょにミニ丼を出していただいた。

すんげー、うまっ!



(千廐町の「馬」にかけてみた…)どれぐらい美味しいかというと、すっぽこゴメンナサイ、ってぐらいの美味しさだ。
 ご飯の上にキャベツ、その上にトンカツ、その上にソースあんかけという四重奏のハーモニー♪ご飯は近くの農家から直接仕入れる「ひとめぼれ」、豚肉も近隣の牧場でとれたものだそうだ。ご飯のホクホク感、キャベツのシャキシャキ感、トンカツのジューシーさ、これらに、甘酸っぱいあんがまとわりつくように絡む。「あん」なのでビシャビシャになることもなく、それぞれの食感が最後まで決してくずれない。



 前述した、ご主人のお母さんである濱子さんが、約60年前に考案したメニューで、(ここからが注目なのだ)「その頃、“あんかけうどん”が人気だったため、かつ丼にも応用できるのでは、と思いついた」のだそうだ。人気のあんかけうどんとは、まさに「すっぽこ」のことであり、小角食堂を全国に知らしめるメニューは、すっぽこから生まれたのであった。
 あんまり美味しかったので、自宅用にとさらにお持ち帰りしてしまった。



■すっぽこの影に、やはり近江商人あり?

 小角食堂を訪ねたのには、すっぽこの実食の他、もう一つ理由があった。実は先に電話取材を試みた時、門間家が近江商人と関わりがあると聞いたため、詳しく知りたいと思ったのだ。
 千廐町には「日野屋」という大きな雑貨店がある。この日野屋さんがもともと近江商人で、縁組みなどによって町内に多くの親戚がある。そして、門間家も100年以上前に婚礼により縁が結ばれている。100年?…それは、小角食堂の創業時期と合致するではないか!とすると、近江商人「日野屋」との縁で食堂が開業し、「すっぽこ」も日野屋さんで食べられていたものをメニューにしたとは考えられないだろうか?
 ご主人の和雄さんに「日野屋さんの家庭で、今も“すっぽこ”をつくって食べている…なんてことはないでしょうか」と質問をしてみると、「うちに出前を頼むんだから、それはないね」と(笑)。
 時間がなく、日野屋さんを訪ねて直接確かめることが出来なかったのが少し心残りではある。折りを見て、電話取材を試みたいと思っている。



 京阪・滋賀でいう“あんかけうどん”「のっぺい」が、名前だけ、“汁かけうどん”「しっぽく」で伝わってしまったのは、伝来する途中で、理由はともかくなぜか逆転したとも考えられるのだが、山形とゆかりのない千厩町でも、“あんかけうどん”が「のっぺい」ではなく、「すっぽこ(しっぽく)」と呼ばれている事実は、口伝による逆転説を否定しているように思う。
 つまり、近江を出発する時点で、「すっぽこ」はすでに「すっぽこ」もしくは「しっぽく」だったのであり、同時に、近江商人によって直接持ち込まれた可能性が圧倒的に高い…ということである。
 これは、ぜひとも滋賀県に飛ぶ必要がある。(誰か取材費カンパしてくれませんか〜?)
 最後に。メニュー名としての「すっぽこ」復活祝いにと、すっぽこ研究所オリジナル「店内用“すっぽこ”プライスポップ」(「へ」作)を持参した。嫌がらずにぜひ使っていただければ、幸いである。
 また、小角食堂さんには、準備中にもかかわらず、中途半端な時間におじゃました我々を歓待いただき、深く御礼を申し上げたい。



■小角食堂
岩手県一関市千厩町千廐字町130
0191-52-2319
11時〜19時(休:日)
すっぽこ:630円/あんかけかつ丼:750円
 
 
■次回予告!東北には“すっぽこ”が点在している?

 すっぽこ研究所 京阪支所長の南郷力丸氏から、貴重な情報が寄せられている。お隣、宮城県でもすっぽこ発見!という衝撃的な事実である。
 これに関しては、a主任が電話等による取材を敢行する予定であり(…でいいのか、a主任)、次号はその報告となるはずである(…でいいのか、a主任)。
 
 *「すっぽこ研究所」では、山形県の「すっぽこ」について、
歴史的・文化的・民族学的研究に深く“楽しく”取り組んでいます。
*皆様からの「すっぽこ」情報をお待ちしています。