すっぽこ通信 5/21号
本日の通信は、研究員の日報を待たず、
所長が独走します。
我が家の近くにあるそば屋に昼食を食べに行った際、
何気なく聞いた一言から明らかになった、
衝撃のリポートです。
■北山形駅にほど近い、
そば屋「小出屋」のオヤジさんの証言
中華そばを食べての帰りしな、「オヤジさん、“すっぽこ”って知ってる?」と聞いてみた。メニューにはなかったのだが、老舗のそば屋だからもしかしたら…そんな淡い期待があった。
すると、「知ってるよ。今は手がかかるからメニューに入れてないが」とオヤジさん。約40年前の創業当時、この店にもかつて「すっぽこ」があったのだ!
「年寄りに特に人気があってね、最初は“すっぽこ”って書いてたんだけど、そのうちだんだんと、“すっぽこ”って何?って聞かれることが多くなってきたから、うちの店では途中から“あんかけうどん”てメニュー直したんだ」
小出屋の住所は、山形市宮町。これで、七日町・旅篭町・相生町からさらに北へ地続きでつながった。いずれも古くからある旧市内である。
■工場仕事で凍えた体を「すっぽこ」が温めた?
店がある北駅前大通り界隈は、今でこそ人通りもまばらな静かな街並みを見せているが、古くは、両所宮への参拝客で賑い、近年は某有名ミシンメーカーの工場や鋳物工場などが集積する一大工場地帯として活気を呈していた。
寒い冬には、きっと暖房なども十分でなかった工場での仕事の合間などに、工員たちが“ふぅふぅ”とあんかけうどんの「すっぽこ」に舌鼓を打っていたのではないか、などと想像すると、ちょっと感動的ですらある。
また、祖母が話した農家の囲炉裏端で、冬の野良仕事の合間に食べたという「すっぽご」の情景とも、シンクロする。
■a主任研究員、大金星 〜すっぽこメジャー時代〜
証言からわかるのはそれだけではない。
昔は「すっぽこ」で通用していた。つまり誰もがすっぽこを知っていた時代があり、それが次第に人々の語彙(ボキャブラリー)の中から消え去っていく経緯が、鮮やかに浮かび上がってくるではないか!
a主任研究員が発した「すっぽこメジャー時代」は確かにあった。そのことを小出屋のメニューの変遷が如実に物語っている。
◎緊急ミーティング指令
→すっぽこ研究所所員各位
場所:小出屋/日時:未定(主人が手すきの時間)
備考:おいしい中華そば付(笑)