すっぽこ通信 5/23号
さてさて、今週もすっぽこりましょう!
本日のすっぽこ通信は、a主任研究員からの定期日報と、
フィールドワークによる聞き取りで明らかになりつつある、
「すっぽこメジャー時代」の終焉について…の2本立てです。
すっぽこを食せるお店の新情報もあり、
今回も見逃せない内容となっております。
では、すっぽこの世界へ、ごいっしょに(笑)
まずは、a主任研究員の日報をご覧ください。
< 日報 > *すっぽこ研究所 a主任研究員
小出屋でのミーティングが楽しみなa主任研究員です。
備考:食するのは「おいしい中華そば」。
とってもうれしいけど、ちょっぴり残念。
やっぱりすっぽこを早く食してみたい・・・。
11月が待ち遠しいな〜と思っていたところ、
こんなサイトを見つけました。
下の方へスクロールしていただくと、
山形県民会館(35回コンサート)のレポートが掲載されております。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~mantell/colmun7.html
*所長注:
サックスも吹ける釣り師ミュージシャン、
野々田万照氏のホームページ mantell nonoda home page
『旅日記その7』
<ミステリー/その1>の
スッポンも激しく気になるところですが、
主任としての任務を遂行すべく、
<ミステリー/その2>に注目しました。
県民会館の(おそらく楽屋)という場所柄、
県外のお客様の注文も多いという店側の配慮が感じられ、、
「すっぽこうどん」と明記されています。
隣に並ぶ「たぬきうそば・うどん」より
250円も高い900円という
ちょっとひるむ価格設定も気になるところですが、
小出屋のご主人がおっしゃる
「手間がかかる」代なのかもしれませんね。
注目は、このレポートの日付が10月16日とあり、
しかも(冬季限定)ということわり書きもなく、
ひょっとして、今すぐにでも食べられるのではないのかしら!?
どこのおそば屋さんなの!?
・・・・・ということで、さっそく県民会館に電話しました。
電話口の向こうは、若い(?)女性のスタッフさん。
こちらの質問内容を話すと、
館長(?)さんのような落ち着いた雰囲気の男性に代わられました。
県民会館で出前の取り引きがあるのは、
「まるご」「寿屋本店」「やま七」の3軒とのこと。
「おそらく、注文されたのは寿屋さんでしょう」と館長(?)さん。
ここは先日【NEW】の表記でアップされたお店です。
たしか冬メニューだったと思いますが、
秋の足音が聞こえる頃には、
「すっぽこはじめました」の張り紙が店先にでるかもしれません。
会館の方のご協力に心からお礼を述べ、こんな質問もしてみました。
a主任「ちなみに、すっぽこは、出前の人気はあるんですか?」
館長さん(?)「んー、そう多くはないですかね〜(笑)」
a主任「あはは。召し上がったことは?」
館長さん(?)「ありますよ。私は本町の金長そば屋さんのですけど。
昔からあるお店でね、冬になると登場します(^_^)」
ふふ、これでお店は7店舗になりました。
国際ドキュメンタリー映画祭出品の際のタイトルは、
『7人のすっぽこ侍』
でどうでしょう?
【所長所感】
■すっぽこミステリー旅バンドご一行様
a主任!素晴らしい!
実は僕もこのサイトは以前から目を付けていて、主任リポートにもある2つの「ミステリー」に釘付けになっていた。しかし、県民会館に電話することは考えなかった。えらいぞー♪このサイトは、サックス奏者として活躍する野々田万照氏さんが運営していて、該当記事は2003年10月16日(木)、山形県民会館で「高橋真梨子 with Henry Band」のコンサート時の旅日記。最も注目すべき点は、今だ目にできないでいる「すっぽこうどん」の現物が写真で見られることだ。
ちなみに所長の僕は、本人にメールをしている(笑)。メールの内容は「ぜひ、写真使わせてください!(懇願)」である。返事は…まだない。きっと今日も日本のどこかの街で聴衆を沸かせていらっしゃるのだろう。
■すっぽこを実食できる「すっぽこ店」、市内7軒に
館長!エライ!(笑)
こう言った生の証言は非常にうれしいし、さらなる調査への勇気がわく。同時に「踊る大捜査線」のあの有名なセリフが耳鳴りのように響いてくる。
すっぽこは現場で起きているんだ!
本町の金長そば屋。後で書くが、こういった直接現場にあたる調査を続ければ、まだまだ増えそうな勢いだ。シリコンバレーならぬ「すっぽこバレー」(a主任)が形成される日も遠くないかもしれない。
それにしても…「7人のすっぽこ侍」。縄暖簾の鄙びたそば屋の小上がりで、あんかけうどんをすすっている浪人侍たちの情景が、意外にも素直に想像できてしまうのはなぜだろう。
ちなみに、寿屋本店と思われるメニューに「冬期限定」という断り書きがないのは、これもまた「すっぽこ」を知る者(時代)において、「常識」だったからではないかと思う。
さて、所長もa主任に負けじとフィールドワークに励んでいた。と言っても、義父義母と桂林にラーメンを食べに行っただけなのだが(笑)、そこで、義母から驚愕の証言を得ることができた。
■すっぽこメジャー時代はいつ終わったのか?
義母はなんと、「すっぽこ」を知っていた!あまりにも灯台下暗しである。以下は、その証言の一部始終だ。
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私は食べたことがないが、子どもの頃そば屋行くと、
じいちゃん、ばあちゃんが好んで食べていた。
品書きには、確か…
って書いてあった。「こ」は古い字だ。
ドンブリでなく、木の漆塗りのお椀に入っていて、
ゆでうどんに、椎茸や野菜が入ったあんかけがかけてある。
ズルズルとすすれるほど長くなくて、
短く切ってあったような気がする。
その当時は、香澄町のスズラン街の角に住んでいて、
矢吹病院のところの小出屋本店っていう大きいそば屋があって、
そこで食べたり、大沼デパートの駐車場の
下の方の分店にもあったと思う。
その頃、支那そばが流行り始めていて、
私は、そっち専門。支那そば食べたくてねぇ。
若い人はみんなそうだった。
すっぽこ頼むのは60歳以上の年寄りだけだった。
私が小学校の4年か5年ぐらいから、なくなった。
それ以後、全然見なくなった。
だいたい、昭和12、13年頃だ。
**********
………質問を挟みながら聞き終わって、唖然とする僕。
「すっぽこメジャー時代」は、義母が小学生の頃、まさに終焉の時を迎えようとしていた瞬間だった。お年寄りだけが好む食べ物となり、若者の人気は、新興勢力である「支那そば」に完全に移りつつあった。
その支那そばであるが、水戸光圀公(黄門様)が日本人として最初にラーメンを食べた人物であるというのは有名な話だが、横浜中華街が明治5年にでき、ラーメンの原形と呼ばれるものが登場したのが明治40年、浅草に東京初のラーメン店「来々軒」が登場したのは明治43年、そこから大阪、札幌、喜多方に次々とラーメン店が誕生するなど、またたく間に全国に広まっていく。山形県内では「昭和9年頃になると爆発的な勢いで米沢中に広がった」という記述を見つけることもできる。仙台で「冷やし中華」が生まれたのは、義母が「すっぽこ」を見なくなったと話す昭和12年のことだ。
しかし、その時代、ドイツではすでにヒトラーが独裁者として君臨し、日本では、昭和11年に「2.26事件」、昭和12年には日本軍による「ナンキン・アトロシティ(南京虐殺)」、そして昭和13年、ついに第二次世界大戦が勃発。日本は自ら戦争への道をひた走っていった。
戦争のため製造中止となったラーメンがより活況を見せるのは、終戦時においてだ。材料が安く栄養価の高いラーメンは、戦後の物資が乏しい時代に、まさにピッタリの食べ物だったという。中国でラーメンの作り方を覚えてきた引き揚げ者によるラーメン屋台が、全国に出現したと言われる。
■すっぽこは戦争とラーメンの台頭によって消滅した
話をすっぽこに戻そう。
現在残る各店においても「すっぽこ」は最も高いメニューのひとつになっている。いわば高級品だ。材料はもちろん調理にも手間がかかる。戦争に突入していく時勢の中で、すっぽこは高級であるがゆえに、メニューから消え去ることを余儀なくされた。そして、戦争を挟んで、戦前のラーメンの流行、戦後の食料難事情が、すっぽこ絶滅を決定的なものにした…そう考えられるだろう。
とすれば、今も残る数少ない「すっぽこ」は、戦争を超え、戦後の高度成長期に次々と登場する数多の飽食メニューに圧されながら、それでもなんとか生き長らえてきた「奇跡のメニュー」と言えはしないか。
これで「すっぽこ」変遷の大枠は見えてきた。今後はさらに聞き取り調査を進め、実証を積み重ねていきたい。あ、実食も(笑)
最後に、義母が言う大沼デパート駐車場下の小出屋分店は、実は「本店」として、済生館から西へ向かったすぐ左側にある。ここのメニューに「すっぽこ」があるかどうかは、まだ未確認だが、きっとある、いや、あってほしい。また、先に証言を得た宮町の小出屋は、正確には「小出屋 宮町支店」。本店からどのような経緯でのれん分けされ、メニューを引き継いだのかも、オヤジさんに追加取材しようと思っている。
■まだまだ多くの謎に包まれる「すっぽこ」
すっぽこがメニューから消えていき、人々から忘れ去られていった時期や原因については、かなり核心に近づいてきたとの実感を持つが、その由来、伝播の経路、あんかけへの変遷などについては、まだまだほとんどの疑問が手付かずのままである。すっぽこ研究は、やっと入口に立ったばかりだ。それにしても…と思う。
そば屋に行って中華そばを食べ、すっぽこについて聞く。
すっぽこに興味と愛着すら覚えながら、その宿敵だったラーメンをこよなく愛する。
なんだか複雑な気分ではある。
すっぽこ研究所では、引き続き「すっぽこ」情報をお待ちしています。