ビフォーアフターアフター:階段2

■ビフォー:解体前の七日町の納戸

「ビフォーアフターアフター:茶の間」の、ビフォーの写真右端に見えていた納戸。この納戸スペースに、2階リビングと3階プライベートフロアを繋ぐ階段が掛けられた。

どうして、階段を2箇所に分けたのか。1階から3階まで階段室を通した方が「空間効率」は間違いなくいい。基本プランに取り掛かる前、瀬野さん、金内さんに提出した「住まい方メモ」に、1階・2階・3階の関係性をこう書いた。
2014年4月のメモ。すでに懐かしい(笑)

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住まい方メモ 140404〜 *一部加筆

2・3階=「母屋」/1階(義母居室)=「離れ」 …的な距離感、独立感
2階リビングまでが階段を含めて玄関アプローチ(戸外)、その途中に「離れ」がある

*2階リビングへの入口が「母屋」の「玄関」
*浴室〜物干場の共有部分は、1階(離れ義母居室)からも2階(母屋リビング)からも「同じ距離」の「(半)外」的な位置づけ
*昔の家屋は風呂やトイレが外にあった…そんなイメージ
*1階→2階の階段は「外階段」、2階→3階の階段は「内階段」
↑家の中に「外」がある

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なので、狭い七日町の空間効率を考えてくれた最初の瀬野プランを、なんとか変えてほしいと我がままを言った。

3階建ての家じゃなく、1階が平屋の離れ、2階・3階は2階建ての母屋。だから、リビングから寝室に行くのに一度「家の外」に出なきゃ行けないのはおかしい…と。この関係性が、いろいろな事情を抱えながら違う家族が同居する七日町の家の肝だったのです。


■アフター(素撮り):階段/2F→3F
七日町リフォーム、オープンハウス時(引き渡し直前)

施主の我がままを聞き入れ、狭い床面積と鉄骨ブレースは絶対に切断できないという条件をかいくぐって、瀬野さんから出てきたアイデアが、この東階段。マジで光明が差した。「ああ、これでここに暮らしていける」と。
新しい七日町の家の大黒柱ならぬ「大黒階段」であり、暮らしぶりのすべてが集約されている階段。
だから、古い蔵のような極太受梁(階段全体を上で受ける梁)と、これまた極太力桁(階段の踏み板の真ん中を1本で支える角材)を見たときには、歓喜した。


*これが「受梁」


*こちらが「力桁」


■アフターアフター:引っ越し約1カ月後の暮らしぶり。

階段には手摺りが付き物。
だけれど、普通に手摺りをつけて、この大黒階段の堂々とした佇まいを損ねることに躊躇した。だから、手摺り造作を止めにして、だけど、この写真では見えないところに変わり種の手摺りが付いている(笑)
階段と東面の壁の隙間に作り付けてもらった飾り棚も、暮らしてみると実に有効。奥さんの大好きなキリンオブジェが置かれ、義父の遺影や子どもたちの写真、趣味の小物、腕時計やメガネなどの日用品、クラシカルなラジオ、音楽CD、読みかけの雑誌などなど、宮町のアパートでは雑然と置かれていたものたちが、整然と納まった。

さらに、(これも結果オーライだったのだが…)飾り棚の一番上が、手の届かない窓を開けたり掃除したりできるキャットウォーク代わりにも使えるという、うれしい誤算。

瀬野さん、金内さん、ここのキャットウォーク的機能って、たまたまの結果オーライだったんですかね?考えてなかったのじゃなくて、考えてないフリしてただけなんじゃないかなと…(笑)

設計段階ではノープランだったのが、後になって「いい具合になった」って箇所が、実はいくつもある。不思議なんだよなぁ。
瀬野プランというのは、とにかく「余力」がある、すごく懐が深い。別の言い方をすると「隙」がある(笑)それが、最終的に家自体、空間そのものの気持ちよさにも繋がっている。

ホント、不思議なんだよなぁ。

設計監理:瀬野和広 + 設計アトリエ
設計共同:金内勝彦設計工房
施工:ますかわホーム(升川建設株式会社 ハウス事業部)

建築写真撮影:長岡信也(←施主 笑)

ビフォーアフターアフター:茶の間
ビフォーアフターアフター:階段